1.はじめに
滋賀県は周囲を山に囲まれた盆地です。
県内の地域は、湖南、湖東、湖北、湖西と、盆地の底にある琵琶湖からの方
角で呼ばれています。

今回は湖北の風景をお届けします。
湖北というのは、琵琶湖の北東部の地域
です。北西部も北部に違いないのですが、
何故か北西部は湖西と呼ばれています。
湖北は雪の多い地域です。
湖南では全く積雪がないときでも、湖北
は雪に埋もれていることがあります。
昔、天下取りのために、湖北では激し
い戦闘が繰り広げられたことがありまし
た。
山内一豊なども駆け回った地域でした。
(左の地図は湖北の一部だけです)
2.余呉湖
余呉湖は、琵琶湖の北にある小さな湖です。周囲6キロほどです。
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余呉湖は、別名「鏡湖」とも呼ばれて
いるようです。
湖面も周囲の家並も、じっと息をこら
しているように感じられる日が多いよう
です。
←鏡のような湖面(03年12月)
冬はわかさぎ釣りで賑わいます。
名古屋や大阪などの遠方から来る人もいます。釣果は気候に左右されます。
この冬は寒いため、大きなわかさぎが釣れていました。
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湖面は凍らないため、釣り用の桟橋が
設けられています。
(入漁券1,300円−内300円は
環境協力金)
←湖の北から南を望む(正面は賤ガ岳)
↓
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余呉湖にまつわるむかし話があります。
湖の北側、わかさぎ釣りの桟橋の手前に、一本の大きな柳の木があります。
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この柳は「天女の衣掛柳」と呼ばれて
います。
むかし、天女が水浴をするときに、衣
を掛けた柳だそうです。
「..ある日、天女が水浴中に...」
←天女の衣掛柳
←案内表示のある柳
↓
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今年(2006年1月20日)、柳の異変に気づきました。
大きな枝が折れていたのです。豪雪の被害です。この付近は3メートル近い
積雪があったようです。
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ほぼ2年前に撮った写真と比べてみま
しょう。
←2003年12月22日
↓2006年1月20日
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1本は下に落ち、1本は垂れ下がって
いました。
3.賤ケ岳
古戦場として名高い賤ケ岳です。
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賤ケ岳は、リフトで頂上近くまで登る
ことができます。
このあたり(木乃本町)は三味線糸、
琴糸の産地だそうです。
←南(余呉湖の反対)側から見た賤ケ岳
賤ケ岳の頂上からは、余呉湖を一望できます。
天正11年(1583年)、秀吉と柴田勝家は、賤ケ岳のふもとの余呉湖付
近で死闘を繰り広げたようです。山内一豊も走り回ったのでしょう。
↓賤ケ岳頂上から見た余呉湖:赤矢印は「衣掛柳」
(2005年10月10日)
4.塩津浜
塩津浜は琵琶湖の最北端にあります。
ここは北陸に通じる港として栄えた地です。紫式部さんは、京都から越前の
実家に帰るとき、大津から塩津まで船に乗ったようです。
現在は、侘しい風景が残っているだけです。
←塩津から沖(南)を望む
↓
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琵琶湖は年平均3センチほど北に移動しているそうです。
1,000年ほど昔、式部さんの時代には、桟橋は30メートルくらい沖に
あったのかも知れません。
←東から見た塩津浜
↓南から見た塩津浜(中央)
5.湖北町
湖北町の湖岸に野鳥センターと道の駅があります。
このあたりは、竹生島の夕景色を撮影する人がいつも押しかけている撮影ポ
イントです。
←静かな湖岸風景
↓
←夕闇の迫った竹生島
↓
6.おわりに
湖北は雪の多い地区です。
しかし場所によってはかなり積雪量が違います。私が訪問したとき、余呉町
では50センチくらい雪が残っていましたが、湖北町付近ではほとんど残っ
ていませんでした。
その2日後、余呉町には1メートル50センチの積雪があった、と報じられ
ていました。
湖北に関連し、次の記事もご参照ください。
・
雨森芳洲庵
・
湖西の冬景色
(散策:2006年 1月20日)
(脱稿:2006年 1月30日)
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